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「京都幕末ツアー② 坂本龍馬の巻:河原町・木屋町編」~ピロピの京都観光ブログ

2019.03.31

皆さん こんにちは。

平成という時代も

あと一か月。

 

三寒四温の激しい京都ですが、

桜の花も咲き始め

毎年変わらず時を刻んでます。

 

さて、

今回は「京都坂本龍馬ツアー第二弾」として

河原町通・木屋町通(いずれも南北の通り)の

二条通から四条通まで(東西の通り)に散在する

幕末、そして坂本龍馬に縁の史跡を

歩くツアーを紹介します。

 

 

地図のように

歩ける範囲の地域に

びっくりするほどの史跡が散らばっています。

 

まずは、

坂本龍馬に関係の深い場所から紹介します。

 

1.酢屋 (坂本龍馬寓居、海援隊屯所京都本部跡)

 

 

木屋町三条を下ル(南へ下ル)、

最初の小橋を渡った龍馬通

「酢屋」があります。

酢屋は享保6年(1721)年、この地にて創業した材木商で、

幕末では龍馬をはじめ、海援隊士を匿い、

「海援隊京都本部」とされていました。

 

土佐藩邸、薩摩藩邸、長州藩邸に近い

この宿の二階に、晩年の龍馬はよく泊まっていました。

大政奉還を目指し

多くの重要人物と会ったり、

多くの手紙を書いた場所です。

 

 

店舗東側入口には「坂本龍馬寓居跡」の石碑が。

 

 

龍馬が暗殺されたのが11月15日なので

毎年11月になると「酢屋龍馬祭」

として追悼がされています。

 

龍馬の手紙は多く残されてますが、

その中でも彼の魅力とジャーナリストとしても識見が

感じられる乙女姉さんへの手紙が有名。

 

龍馬は暗殺される慶応3年6月に

土佐家老であり同士であった後藤象二郎

長崎から京都に入ります。

 

その際に送った手紙にも

返信は「すや」に送ってほしいと書いています。

 

二階は「龍馬ギャラリー」として

龍馬に関する展示が行われています。

(展示予定はチェック要)

 

 

2.土佐藩邸跡・土佐稲荷(岬神社)

さらに木屋町通を下っていくと

蛸薬師通のあたりに「土佐藩邸跡」の石碑が。

 

 

江戸時代、土佐藩の藩邸があったとされています。

当時は高瀬川に面して門があり、

高瀬川には土佐橋が架かっていた。
龍馬は何度か脱藩をしていますが、

当時は亡命のようなもので藩からすれば重罪でした。

 

勝海舟が土佐藩主山内容堂に会った際に

龍馬の脱藩の罪を許すよう交渉し、成功するのですが、

本人は藩邸に入るのを嫌がり、

「酢屋」など別の隠れ家で活動します。

 

きっと龍馬は束縛が嫌で

自由でいたかったのでしょうね。

 

 

 

土佐藩邸は現在の木屋町通から河原町通までの

大きな藩邸でした。

 

土佐藩邸跡石碑を西へ歩くと

当時は藩邸内に所在した

「土佐稲荷(岬神社)」が見えてきます。

 

元は室町時代に祠がつくられましたが、

土佐藩邸建設の際に

その庭に移されました。

 

土佐藩士は勿論、地元の人々から篤く信仰されていたため、

藩邸の門は開かれていて

参拝自由であったそうです。

 

その後明治時代に藩邸は売却され

大正時代、木屋町・先斗町の信徒の募金によって

現在の姿となりました。

小さな境内には

龍馬の像も。

 

 

尚、土佐藩邸跡のちょうど北向かいにある

「都会館」の前に

龍馬の妻「楢崎龍独身時代寓居跡」の石碑も。

 

 

お龍(楢崎龍)は

青蓮院の住職の主治医もしていた

医者の子として、木屋町付近で生まれました。

 

その父を若くして亡くしてから

母とお龍、その妹は貧しい生活を余儀なくされ、

そういうお龍を

龍馬が伏見の寺田屋に預けたのは有名な話ですが

詳細ははっきりしていません。

(三十三間堂付近でで出会ったとされています。)

龍馬は自分にもしもの事があった場合、

お龍の面倒を姉の乙女らに頼んでいましたが、

 

なかなか気の強い、難しい性格だったようで、

土佐の坂本家でも馴染めずにいたようです。

 

その後、転々とし再婚して西村ツルと名乗っていたようですが

晩年は不幸な余生であったようです。

 

3.近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地)

 

さらに西へ歩くと

河原町通りへ。

向かい側現在のかっぱ寿司の辺りに

龍馬の肖像写真とともに

「坂本龍馬 中岡慎太郎遭難の地」の石碑が見えます。

 

近江屋は由緒ある醤油屋で

土佐藩御用達でもありました。

慶応三年(1867年)の龍馬は長崎から京都に入り、

大政奉還に向けて周旋していました。

その際前述の「酢屋」を拠点としていましたが、

 

大政奉還後

安全確保できなくなったため、

近江屋に拠点を移しました。

 

 

そして11月15日(現在の12月10日)、

京都見廻組によって

屋内にいた下僕の藤吉、中岡慎太郎とともに暗殺されました。

龍馬は即死、中岡慎太郎は2日に亡くなったと伝えられて

います。

暗殺の間の再現

 

暗殺事件には

黒幕説など未だに熱く語られていますが、

現在では、ほぼ見廻組の仕業であるとされています。

 

 

4.その他の史跡・石碑

その他、

木屋町・河原町付近、幕末の史跡・石碑を北から紹介します。

(地図参照)

桂小五郎像(ホテル オークラ前)

 

料亭「幾松」・桂小五郎 幾松寓居跡

 

大村益次郎公遺址

 

佐久間象山・大村益次郎遭難之地石碑

 

武市瑞山(半平太)寓居跡

 

 

吉村寅太郎寓居跡

 

 

中岡慎太郎寓居跡

 

 

古高俊太郎邸跡

 

いかがですか?

幕末ファンにはたまりませんよね。

 

木屋町通は桜の名所でもあり、

食べる・飲むのグルメの地でもあります。

 

ゆったり一日楽しめることが出来ますよ。

是非試してみて下さい。

 

 

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