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~「京都のヒーロー 茶の湯:千利休と千宗旦を追いかけて その④ 千宗旦と千家」の巻~ ピロピの 新人ドライバー奮闘記! SEE THE LIGHT!

2018.04.23

みなさん。

こんにちは。

先週末は4月としては異例な
真夏日を記録した京都。

今回は抹茶ラテを飲みながら

千利休の孫、宗旦と千家について
簡単に紹介しようと思います。

画像(400x264)・拡大画像(800x528)

千家の略系図

さて、

前回は千利休の自害までを
紹介しました。

今も引き継がれている
「千家」
利休の死後、
どのように生き残ってきたのでしょうか?

画像(205x219)

利休の孫、千宗旦

上の系図を参考に、

利休には後継者候補の二人の息子が
いました。

最初の妻 宝心妙喜との間に生まれた
長男の道安

道安は茶の見識、技量ともに優れていて
利休生前は後継者と思われていました。

そして再婚した宗恩の連れ子であった
少庵
利休は養子として迎えています。

同世代の道安と少庵の関係を配慮した
利休は、
少庵を堺から離し、京都の大徳寺の
門前に住ませます。

これが堺千家京千家のはじまり。

利休は道安に家督を継がせるべく
財産処分状まで準備していたが、
自害したため反故となります。

利休の死後
道安は飛騨の金森長近を頼ったとされています。

一方の少庵は奥州へ流罪に。
利休七哲の一人、蒲生氏郷の庇護下に。

やがて秀吉から許された少庵は
会津から京都に戻り 本法寺の前に寓居を構え
千家再興に尽くします。

道安も同時に秀吉から許されていましたが
この時点で少庵に千家家督が渡ったと
考えられています。

当人 少庵は千家を継ぐつもりはなく
嫡男の宗旦を大徳寺に入れていました。

秀吉は利休の遺品や茶道具を
宗旦に返却します。

少庵は利休にとって義理の息子。
その嫡男宗旦は義理の孫ということになるのです。

画像(249x320)

宗旦が隠居所として建てた裏千家「今日庵」

その後の宗旦。

将軍家や大名からヘッドハンティングされるが、
ことごとく断り経済的に苦しい生活。

利休高弟らは 宗旦の茶を批判する、など
前途多難でした。

宗旦は身を清貧に置きながら
侘び茶の精神を徹底し
利休の精神を受け継ごうとします。

大徳寺での修行が
大きな影響を与えました。

やがて江戸時代の初期に
利休の再評価が起こり
それが宗旦の名を高めたのです。

画像(115x400)・拡大画像(142x491)

宗旦書「日々是好日」

宗旦の茶は
「日々是好日」

人生には雨風があるが、風雨も楽しみ、
楽しみが無い時も 無いことを楽しむ。

宗旦自身は経済的に恵まれない人生であったため
子供たちの就職先探しは
熱心に行います。

長男の宗拙は家出し前田家に仕えます。

次男の宗守
松平家の茶頭に。
その後、京都武者小路に「官休庵」を営み
官休庵一世 武者小路千家を興します。

三男の宗左
宗旦から茶室「不審庵」を譲られ
不審庵四世 表千家を創設。
紀州徳川家の茶頭も務め
以後子孫は代々、宗左の名を世襲します。

四男の宗室
加賀前田家の茶頭となり
当地に茶の文化を広め
宗旦が「今日庵」を譲りうけ
今日庵一世 裏千家を創設。

このように
千家は3分立し
利休の茶の湯を継承していきます。

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表千家「不審庵」

画像(400x325)・拡大画像(486x396)

武者小路千家「官休庵」

いかがですか?

簡単に説明してしまいましたが
茶の湯は奥深いですね。

興味を持たれたことを
さらに調べてみて下さい。

観光する際に
楽しみが増えていきますよ。

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