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☆みんなで京都を楽しもう Discipleの京都の歴史、地名ブログ☆ 【第1部 歴史編2ー1】

2019.03.19

第2章 <政治都市としての成立①> ~平安京建都への経緯~

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 みなさま、こんにちは。

 本年早いもので約3か月が経過しようとしており、卒業や異動、入学や就職など公私においてドタバタするシーズンですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 私の家族においても、卒業と進学、卒園と入学などが重なっており、日々ドタバタ劇を繰り広げていますが、桜の開花を楽しみに公私ともに乗り切っていければと思います。

 さて、本題に戻りますが、第2章については<政治都市としての成立>と題して、政治都市として至った経緯などについて紹介していくこととしています。

 今回は、~平安京建都への経緯~と題して、紹介させていただきます。

 

~平安京建都への経緯~

 794年(延暦13年)に平安京が建設されていますが、その10年前にはヤマトの地から長岡京に遷都されており、慌ただしく都が移されています。

 当時の桓武天皇は、律令政治の革新を目指して、長期間政治の中心地であった大和国を離れ、その後背地として大きな役割を果たしていた山背国の長岡京に一旦遷都しています。

※長岡京 太極殿跡

 長岡京は、平城京、平安京と並ぶ京域を有し、平城京の地理的な問題点を解消した都であったとされています。

 

 この長岡京への遷都により、反体制勢力などの排除を目論んでいましたが、家臣の一人で革新派のリーダーであった藤原種継(たねつぐ)が、785年(延暦4年)9月に暗殺されました。

 犯人は暗殺の翌日に特定され、旧勢力の代表格であった大伴氏一族が捉えられることとなります。この大伴氏一族は、桓武天皇の皇太弟である早良親王に仕えていたこともあり、皇太弟をはじめ、その全体が粛清の対象とされることとなりました。

 早良親王は、無実を主張するも廃太子されるとともに乙訓寺に幽閉され、絶食により死去することとなります。しかし、桓武天皇は罪を許すことなく死後死刑を執行するとともに亡骸を淡路島に流すという事件が発生することとなりました。

 この政治的大事件は、のちに「怨霊」問題とされ、桓武天皇に心理的負担を与えたとされています。

 ※怨霊思想とは、奈良時代以前からある、非業の死をとげた人の魂が跳梁して祟りをなすとの考えによるものです。

 その祟りの現象とされていることとして、桓武天皇の近親者(生母、皇后の死)を中心に起こり、長岡京では毎年のように大雨や洪水、疫病が発生し、このことについても祟りによるものであると人々の間で噂されることとなります。

 早良親王の祟りを恐れるあまり、800年(延暦19年)には「崇道天皇(すどうてんのう)」と追号する(皇位を継承していないので、歴代天皇には数えられていない。)とともに、この祟りから逃れる方法の一つとして、また、人心一新のために新たに遷都を模索していたとされています。

 桓武天皇は、1895年(明治28年)に創建された平安神宮に、早良親王は、京都においては左京区上高野にある崇道神社に祀られています。

※平安神宮の外拝殿

 平安遷都を行った桓武天皇、平安京の最後を過ごした孝明天皇が祭神として祀られています。京都三大祭の一つ「時代祭」は、平安京遷都の日に行われています。

※京都で唯一早良親王のみを祭神としている崇道神社

 平安京の鬼門に位置しており、上高野地域の氏神の一つとなっています。

 境内社の一つに小野神社があり、小野妹子(おののいもこ)、小野毛人(おののえみし)を祭神として祀られています。また、祟道神社の背後の山中で発見された「金銅小野毛人墓誌」は国宝に指定されています。

 

 遷都の理由については、いろいろな意味合いがあること、近代においては、京都から東京に遷都されたことにも繋がっているものがあるのではと思います。

 また、上高野地域においては、いろいろと静寂スポットもありますので、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 次回は、<政治都市の成立②>~平安京の建設と計画的な都市~と題して、紹介していこうと思います。

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