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「京都幕末ツアー①新選組の巻」~ピロピの京都観光ブログ

2019.03.07

皆さん こんにちは。

三寒四温、日中は温かくなりましたが、

朝晩はまだまだ寒い京都。

 

私事ですが

去る12月に実施されました

京都文化観光検定2級に無事合格しました。

個人的に応援して下さったお客様、

ありがとうございました。

 

ということで、

今後は一層分かりやすく

京都にの魅力にスポットライトを当て

紹介していこうと思います。

 

 

 

さて、

京都、いや日本史上最も熱かった時代「幕末・維新」

 

個人的に最も紹介したかった京都、

触れないわけにはいきません!

 

第一弾として過去に数回案内したことのある

「新撰組1日ツアー」

今回紹介致します。

 

上の「誠」のロゴ。

歴史好きだけではなく、

アニメや演劇、音楽にも度々登場しますね。

 

幕末では幕府の用心棒的組織として、

同じく幕末のヒーローとされる尊王攘夷派などを

容赦なく斬殺した新撰組。

 

敵・味方の構図であるのに、思想的には

坂本龍馬西郷隆盛高杉晋作などと基本変わらない。

そして自分たちも幕末・維新の時代の変わり目で

滅んでいく。

 

こういう儚さが、今も私たちの心を動かすのだと思います。

 

 

新撰組とは・・

 

 

 

 

 

簡単に説明しますと、

1863年、近藤勇土方歳三沖田総司らを中心に

将軍の警護のために結成された浪士団(壬生浪士組)。

これが後の新撰組です。

新撰組が活躍したのは、

1863~1869年のたった7年。

短期間の間に燃え尽きた組織でもあります。

 

 

それでは京都駅に近い順に

新撰組ツアーご案内!

 

1.新撰組洛中屋敷跡(最期の屋敷)

 

 

京都駅烏丸口(京都タワー側)塩小路通を西へ歩くと

京湯元ハトヤ瑞鳳閣が見えてきます。

その前にある石碑があります。

2009年に建てられました。

 

1867年6月、

新撰組が徳川慶喜直属の軍隊とされ、

西本願寺からこの地へ屯所が移動されました。

その後半年間、この地が拠点となりました。

 

 

2.不動堂村屯所跡

 

1の石碑からすぐの所にあります。

リーガロイヤルホテルの構内に位置します。

 

こちらも「最期の洛中屋敷跡」と記されています。

何故かというと、

1も2も この辺に在った??とされているからです。

 

 

3.本光寺

 

マニアックなお寺ですが、

京都駅の西側にある油小路七条付近に位置します。

上の組織図の参謀にあたる伊東甲子太郎絶命の地。

 

伊東は近藤勇と「思想が異なる」として

新撰組を離脱し、御陵衛士を結成。

 

その後「近藤勇の暗殺を企てた」と疑われ、新撰組に暗殺されました。

「油小路の変」と呼ばれていますが、

同じく藤堂平助もこの地で絶命したと伝わります。

 

 

寺に入ると「油小路の変」に関する資料、伊東甲子太郎に関する展示などが見れます。

 

4.西本願寺

 

 

世界遺産として有名な西本願寺

 

1863年結成より隊員が増え

一躍京都で脚光を浴びることとなり、

当時の屯所としていた八木邸から1865年3月に

西本願寺へ移動させました。

 

新撰組は北集会所太鼓楼を使用したと伝わります。

現在は兵庫県の本徳寺に移築されています。

 

浄土真宗本願寺派の総本山でもある

本願寺。当時境内で軍事練習などを行っていた

新撰組と本願寺の関係は良くなかったそうです。

 

多くの国宝や重要文化財があり、

見所満載の観光地でもありますが、

新撰組二番目の屯所という一面もあります。

 

 

5.壬生寺

 

さて

京都駅付近から北西へ。

四条大宮付近へ移動します。

 

 

壬生寺は991年に三井寺の僧、快賢が創建、

 

壬生寺にある「壬生寺歴史資料室」の奥に

「壬生塚」があります。

ここには近藤勇他11人の隊士が祀られていて

ファンなら必ず訪れる場所。

 

 

構内では

新撰組グッズが販売されていたり、

近藤勇の胸像などが印象的です。

 

残された写真でも

口を一文字に閉じた風貌ですが、その魂の強さを表している

ようです。

残されている近藤勇写真

 

6.光縁寺

 

浄土宗のお寺で、知恩院の末寺に当たりますが、

この寺は

新撰組総長、山南啓介が行き来し、当時の住職と親交を深め、

山南の紹介で新選組で命を落とした隊士や、山南自身も

こちらで葬られている寺です。

 

新撰組は近藤・土方・沖田が田舎剣法と言われた天然自然流

あったのに対し、

山南啓介坂本龍馬らと同じく天下の北辰一刀流

 

人望もあった山南は

近藤らに疎まれ前川邸で切腹して果てました。

 

7.旧前川邸

 

地元で広大な敷地を有していた前川家。

 

後で紹介する八木邸で収まらなくなったため

屯所を前川邸に拡大しました。

 

当時、新撰組は近藤派芹沢鴨派に覇権が分かれており、

近藤派がこの前川邸を使用していました。

先述した山南啓介もここで切腹することになります。

毎年3月には「山南忌」が行われ追悼されています。(見学不可)

 

 

 

中にはグッズコーナーがあり

写真のようなお守りなどが販売されています。

 

8.八木邸(壬生屯所)

 

 

新撰組発祥の地であり、最初の屯所である八木邸

現在はガイド付きで邸内の見学ができます。

 

芹沢鴨暗殺の現場でもあります。

 

芹沢鴨が暗殺された室内

 

 

 

芹沢鴨が残したとされる刀傷

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